もう1ヶ月近くBLOGを更新していない。
忙しぶっている訳ではないのだが、ここに向かう余裕が途切れてしまったかのようだ。
その隙間を埋めるように、あまり深く考えないようにと、Twitterには旺盛に書き込んでいる。寺山修司ではないが、140字という制約と接続詞不要の文体がこの泡のように浮かんでは消えていく今の自分の心象には心地よく収まる。

なんだかこのまま、どこかへ流れて行ってしまいそうなので、「映画館やろう」と決めてから、ことあるごとに何度も読み返してきた、太宰の小文をここに置いておこう。
また、くじけそうになった時の心の杖として。




『弱者の糧』 太宰 治

 映画を好む人には、弱虫が多い。私にしても、心の弱っている時に、ふらと映画館に吸い込まれる。心のっている時には、映画なぞ見向きもしない。時間が惜しい。
 何をしても不安でならぬ時には、映画館へ飛び込むと、少しホッとする。真暗いので、どんなに助かるかわからない。誰も自分に注意しない。映画館の一隅に坐っている数刻だけは、全く世間と離れている。あんな、いいところは無い。
 私は、たいていの映画に泣かされる。必ず泣く、といっても過言では無い。愚作だの、傑作だのと、そんな批判の余裕を持った事が無い。観衆と共に、げらげら笑い、観衆と共に泣くのである。五年前、千葉県船橋の映画館で「新佐渡情話」という時代劇を見たが、ひどく泣いた。あくる朝、目がさめて、その映画を思い出したら、嗚咽が出た。黒川弥太郎、酒井米子、花井蘭子などの芝居であった。翌る朝、思い出して、また泣いたというのは、さすがに、この映画一つだけである。どうせ、批評家に言わせると、大愚作なのだろうが、私は前後不覚に泣いたのである。あれは、よかった。なんという監督の作品だか、一切わからないけれども、あの作品の監督には、今でもお礼を言いたい気持がある。
 私は、映画を、ばかにしているのかも知れない。芸術だとは思っていない。おしるこだと思っている。けれども人は、芸術よりも、おしるこに感謝したい時がある。そんな時は、ずいぶん多い。
 やはり五年前、船橋に住んでいた頃の事であるが、くるしまぎれに市川まで、何のあてもなく出かけていって、それから懐中の本を売り、そのお金で映画を見 た。「兄いもうと」というのを、やっていた。この時も、ひどく泣いた。おもんの泣きながらの抗議が、たまらなく悲しかった。私は大きな声を挙げて泣いた。 たまらなくなって便所へ逃げて行った。あれも、よかった。
 私は外国映画は、余り好まない。会話が、少しもわからず、さりとて、あの画面の隅にちょいちょい出没する文章を一々読みとる事も至難である。私には、文 章をゆっくり調べて読む癖があるので、とても読み切れない。実に、疲れるのである。それに私は、近眼のくせに眼鏡をかけていないので、よほど前の席に坐ら ないと、何も読めない。
 私が映画館へ行く時は、よっぽど疲れている時である。心の弱っている時である。敗れてしまった時である。真っ暗いところに、こっそり坐って、誰にも顔を見られない。少し、ホッとするのである。そんな時だから、どんな映画でも、骨身にしみる。
 日本の映画は、そんな敗者の心を目標にして作られているのではないかとさえ思われる。野望を捨てよ。小さい、つつましい家庭にこそ仕合せがありますよ。 お金持ちには、お金持ちの暗い不幸があるのです。あきらめなさい。と教えている。世の敗者たるもの、この優しい慰めに接して、泣かじと欲するも得ざる也。 いい事だか、悪い事だか、私にもわからない。
 観衆たるの資格。第一に無邪気でなければいけない。荒唐無稽を信じなければいけない。大河内伝次郎は、必ず試合に勝たなければいけない。或る教養深い婦 人は、「大谷日出夫という役者は、たのもしくていいわ。あの人が出て来ると、なんだか安心ですの。決して負けることがないのです。芸術映画は、退屈で す。」と言って笑った。美しい意見である。利巧ぶったら、損をする。
 映画と、小説とは、まるでちがうものだ。国技館のすもうを見物して、まじめくさり、「何事も、芸の極致は同じであります。」などという感慨をもらす馬鹿な作家。
 何事も、生活感情は同じであります、というならば、少しは穏当である。
 ことさらに、映画と小説をいわゆる「極致」に於いて同視せずともよい。また、ことさらに独自性をわめき散らし、排除し合うのも、どうかしている。医者と坊主だって、で逢えば互いに敬礼するではないか。
 これからの映画は、必ずしも「敗者の糧」を目標にして作るような事は無いかも知れぬ。けれども観衆の大半は、ひょっとしたら、やっぱりびしい人たちばかりなのではあるまいか。日劇を、ぐるりと取り巻いている入場者の長蛇の列を見ると、私は、ひどく重い気持になるのである。「映画でも見ようか。」この言葉には、やはり無気力な、敗者の溜息がひそんでいるように、私には思われてならない。
 弱者への慰めのテエマが、まだ当分は、映画の底に、くすぶるのではあるまいか。






底本:「もの思う葦」新潮文庫、新潮社
1980(昭和55)年9月25日発行
1998(平成10)年10月15日39刷


【雑記帳】

本日 11月15日は、高崎映画祭・シネマテークたかさきの茂木正男さんの一周忌。

午前に吾妻橋で用事を済ませ、新幹線に飛び乗って墓前に向かう。
お住まいからほど近い 丘の上の眺めの良い新しい住処である。
シネマまえばしはじめてのプログラム原稿をお供えし手を合わせた。

生前によくお話をした。

自分は「いない」より「いる」ほうがほんとにうによかったのか ..... 。

一年経っても未だにの問いから放れられない。

茂木さんはいかがですか。(お)





【雑記帳】

パブリシテ

産經新聞 群馬版 2009年11月12日(木) 右肩枠付き4段
「前橋再生 拠点に」

【雑記帳】

開館にあたり防火対象物使用開始届けを提出する時期になった。併せて消防計画の提出。防火管理者としての責任は重い。

【雑記帳】

ビデオダンス クリエーション ワークショップ
長内裕美さんの撮影が終了しました。
撮影場所は「シネマまえばし」から空中回廊を渡ってすぐの「前橋こども図書館」。(長時間に渡って、また閉館後の遅くまで、お世話になりました。)
監督 飯名尚人さんの指導のもと、参加ワークショップ生も実践のなかで多くを肌で学んでいたようです。
明日3日は、目黒大路さんの撮影です。


091002-2.jpg

[監督/飯名尚人の感想]
ワークショップといっても単に「体験しましょう」というビギナー向けの内容ではなく、実際に作品を作り上映する、というところまでをガチンコでやりまし た。上映する、ということは、クオリティーが高くなければならないし、参加者全員で楽しく作りました!というだけでは成立しないし、認めてもらえません。 誰からも。もちろん楽しくなければ意味がないけども、完成品の質も高くないとまったく意味がない!
参加者に女の子が多かったせいか、演出にファンタジーの要素が多くて(そして意外にもシュールなものも多い)、そこも面白かった。自分だけでシナリオを組 むよりもポピュラリティーのある内容になったと思います。長内さんの作品は、ファンタジー&ホラー、という組み合わせで演出していきました。


【雑記帳】

ビデオダンス クリエイション ワークショップ

今日から撮影が始まる。
11月22・23日の17:00から実演と共に公開する他。
シネマまえばしのPVとしても利用・上映の予定。

091002.jpg

目黒大路さんは、白塗りにして映画館に巣食う魍魎だとか .... 。


本当にお世話になった元藤燁子さんにも出演して欲しかったと心から思います。
「土方巽と日本人;舞踏映像祭」は、必ずやりますからね !!

【雑記帳】

シネマまえばしの電話とファックス番号が決まった。

なんと電話が

027-231-8000
ファックスが
027-231-8006

これは旧テアトル西友の番号と同じ。
申し込みをしたその日に偶然空いたという、
お金を出したとしても手に入れられない番号だと思う。

こんな風があちこちから吹き始めている .....。

【雑記帳】

パブリシテ;

NHKラジオ第一 2009年10月21日 pm13:00 「ふるさと元気力」

【雑記帳】

何故だろう」から 05;どの街の映画館に行っても同じような映画館ばかりで、しばらく経つとどこで観たものかと全く思い出せなくなったのは何故だろう。

【雑記帳】

11月8日にシアター0で行われる「KOS;ショート・フィルム・フェスティバル」。「呪怨」の監督 清水 崇 さんが来てくれるそうだ。楽しみ !!  それにしても「呪怨;ビデオヴァージョン」はほんとうに怖い !!

シネマまえばし


群馬県前橋市千代田町五丁目1番1
前橋プラザ元気21・別館3階
(旧前橋西武ウォーク館 旧テアトル西友)

オープン

2009年12月4日(金)
※ プレオープン / 事務局開設;10月30日(金)

お問い合せ

前橋芸術週間
群馬県前橋市敷島町240-41
フリッツ・アートセンター内 シネマまえばし準備室
TEL:027-235-8989 FAX:027-235-8990
URL:http://www.f-ritz.net/
E-mail:info@cinemamaebashi.jp

プログラム

MENU

ARCHIVE

ENTRIES

PAGE TOP▲